バブル世代サバイバル中

バブル末期に社会人。今はリストラ最前線。人生100時代を迎えようとしている今どうやって生き延びるか考える。

完全無職中の入出力4ーNHK エール

NHK連続テレビ小説エール。このドラマ、変なドタバタとかあってうざいところもあるんだけど、表現者の苦悩であったり、社会の圧力であったり、考えさせられるネタが色々ある。

www.nhk.or.jp

この中に主人公の楽曲を聞いた若者が曲に触発されて予科練に合格したものの、戦死してしまうというエピソードがあります。

曲に込められていたのは純粋に応援したいという気持ち、そしてそこにある状況、情景を感じる素直な心。しかし結果は決して明るいものにはならなかった。責任を感じた主人公はそれから曲を書かなくなる。ここを考えたい。

基本的に人は常になにかに刺激されて行動を起こしている。普段あまり意識することはないしれないけど、ご飯を食べることだってお腹がすいているだけでなくSNSの美味しそうな写真だって入力になるもんね。

主人公の曲は国のために戦いに行くという状況を前向きに捉えられるよう予科練生のために書かれた。泣きメロだし、それを聞いた普通の若者がその世界観に素直に感動するのはわかる。切り取られた情景が感動的だもの。

そこから若者が予科練に目指すというところは、若者が初めて自分からやりたいことを言ったという設定になっていた。いい話だ。作者冥利に尽きると言ってもいいかもしれない。人を触発するものを表現できたんだから。

しかし、彼は戦死してしまう。主人公も彼の母親も望んでいない結果だ。主人公は責任を感じ、そこから曲を書かなくなる。

そういや自殺幇助とか大量殺人に繋がる曲やゲームの作者が批判されることがあります。批判している側は本気でそう思ってんのかな? まぁ、普通に考えて無いですよね。もちろんその表現方法については議論の余地があるにしろ、曲を聞いた側の受け取り方、行動の選択の問題であり、きっかけとなった曲そのものに問題があるわけじゃないですから。

行動のきっかけとなった入力が曲という目に見える形になっていたために、批判しやすいのかもかもしれない。このドラマでは同調圧力も表現されていますが、それも作者が感じたのかもしれない。感受性の強さは表現者の一つの特徴だと思うのでそれが責任があると考えてしまった一つの要因なのかもしれない。

おそらくこの後の展開で曲を書くようになるみたいですが、立ち直りのきっかけに注目したい。

ついでに。
この駄文のきっかけはエールのエピソードですが、このエピソードで違う話を書く人はたくさんいるだろう。この反応の多さが多様性であり、それを受容できる世界が多様性を重んじる世界になる。ほんとにそんな世界を受容できる人たちがいるのかな。ダイバーシティとかお題目唱える人たちってどっちかっていうと同調圧力側っぽいんだよなぁ(笑

エールに関して色々モヤモヤとしたものを感じていたんだけど、すこし整理できそうだ。もう少し考えよう。 

NHK連続テレビ小説 エール 上

NHK連続テレビ小説 エール 上

 

追記:

有料記事です。史実的には間違いって指摘。まぁ、お話としてみればいいんじゃないのかなぁ。

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